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2008年8月 6日

広島原爆の日  平和宣言

【 追記:"黒い雨"その実態が明らかに 】追記記事

秋葉忠利広島市長の宣言の中で我が耳を疑った音が入ってきました。ちょうど夕食どきのNHKニュースです。

NHKニュース8月6日 18時58分
・・・ 被原爆の影響は長年過少評価され、被害の全貌は解明されていない ・・・

NHK080806_s.jpg
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音声にはあったのですが、NHKニュースのなかの記事にはありませんでした。
そこで広島市のホームページを開いて宣言文を確認しました。たしかにありました。
一部引用します。 --> 宣言文はこちら


平 和 宣 言

平均年齢 75歳を超えた被爆者の脳裡(のうり)に、63年前がそのまま蘇(よみがえ)る8月6日が巡って来ました。「水を下さい」「助けて下さい」「お母ちゃん」 ―――被爆者が永遠に忘れることのできない地獄に消えた声、顔、姿を私たちも胸に刻み、「こんな思いを他の誰(だれ)にもさせない」ための決意を新たにする日です。

しかし、被爆者の心身を今なお苛(さいな)む原爆の影響は永年にわたり過少評価され、未だに被害の全貌(ぜんぼう)は解明されていません。中でも、心の傷は深刻です。こうした状況を踏まえ、広島市では2か年掛けて、原爆体験の精神的影響などについて、科学的な調査を行います。

そして、この調査は、悲劇と苦悩の中から生れた「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みをも私たちに教えてくれるはずです。

「未だに被害の全貌は解明されていません」「2か年掛けて、科学的な調査を行います」とのことで、国はなにをしていたのかと。
市の財力、マンパワーでは限界があり、それを国に求めていたのでしょう。しかし被爆者はどんどん高齢になり、もう待てないと市が「核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽し行動することをここに誓います」に従って独自に調査を行うことを決めたということでしょうか。

嘆かわしい限りですが国はいまだ逃げ回っています。原爆症の認定は渋り倒しています。
何年か前の原爆の日の式典で、元総理は棒読みで、しかもそのあとは逃げるようにして東京に舞い戻っています。特にスケジュールがなかったのにかかわらず現地での被爆者団体の会合にも一切出席もせずトンボ帰りでした。



我が国政府には、その憲法を遵守し、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択のために各国政府へ働き掛けるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果すことを求めます。さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、また原爆症の認定に当たっても、高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を要請します。

原爆症認定基準は爆心地から3.5km以内だけれども・・・
・・・ "黒い雨"その実態が明らかに ・・・

被爆者の救済は国の仕事ですし、身を呈して世界へ訴えるのも国の仕事です。とにかく「国は動いてくれ!」と訴えています。
広島市内のホテルの記者会見で、

原爆症の認定について「認定と裁判の乖離(かいり)があるというご指摘も受けておりますので、その点について、どういうふうにすべきかということは、我々考えているところでございます。認定審査会に委員として司法関係者を増員をしたい。そして、より納得が得られる認定作業を進めていきたい。」と述べました。

 続いて、被爆者7団体の代表者らとの会合「被爆者代表から要望を聞く会」に出席し、原爆症の認定について、「対応の遅さは政府は責めなければならないですが、今日のお話を伺いこれからどういうふうにするかということは、厚生労働省で大臣を筆頭に具体的に考えてもらいたい。」と回答しました。


63年も経っているのに、これからどうするか考えるんだそうです。やる気の無さが露呈しています。



なんでこうまで動かないのか
それに繋がるかもしれないビデオが残っています。
1975年10月31日 日本記者クラブにおいてアメリカご訪米後の公式記者会見です。
「原子爆弾が投下された事に対しては、やむを得ない事と私は思っております。」2分00秒頃から~ --> こちら


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久間防衛大臣は「原爆投下しょうがない」発言でボコボコに叩かれ、辞任しましたが、昭和天皇のお言葉の真意はなんだったんでしょうか。


太平洋戦争の開戦を決めたのは御前会議
  ■ 1年前のエントリー「戦争の歴史だった  ・・・明治憲法」から抜粋 --> こちら

当時の憲法は明治憲法であり、
 帝国憲法(明治憲法)第11条
      「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」
と、統帥の中身はともかく、天皇が日本の陸海軍を統帥すると書かれています。
陸軍大臣は海軍のことはわからない、海軍大臣は陸軍のことはわからないという仕組みでしたが両方から報告を受けてわかっていたのは天皇でした。

その御前会議の仕組みをNHK 「御前会議」から作ったイメージ図です。


GozenKaigi_s.gif
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  ● 陸・海軍の中堅官僚によって起案され
      ↓ 
  ● 部局長会議
      ↓
  ● 大本営政府連絡会議で事実上決定され
      ↓
  ● 御前会議にかけられ天皇の了承をとった
      ↓
  ● 戦争に突入した


市民の目線じゃない、高所からの挨拶
NHKニュースで福田総理の肉声で一部が流されました。肉声だったから余計に感じたのかもしれませんが、違和感を覚えた部分がありました。2番目の節です。
「廃墟からよく頑張ったね」「ほめてあげるよ」という風に私には聞こえました。

そうじゃないだろう・・・・
広島市民は快く受け入れたでしょうか。ひょっとしたら感情を逆なでしたのではないか・・・

・・G8仲良しクラブでゆったとか、援護法を改正したとか、そんなんじゃダメ!と市長が宣言・・

広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
内閣総理大臣挨拶

 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 六十三年前、幾万の尊い命と共に焦土と化した広島は、今や我が国有数の大都市に発展するとともに、国際的にも平和都市として名誉ある地位を占めています。私は、これもひとえに市民の皆様方が、廃墟の中から立ち上がり、街を復興するにとどまらず、被爆地として、平和の尊さを世界中に訴える努力を続けてこられた賜と考えます。

  国としても、唯一の被爆国として、広島、長崎の悲劇を二度と繰り返してはならないと堅く決意し、戦後一貫して国際平和の途を歩んでまいりました。

 広島は平和の象徴(シンボル)です。昨年から日本とアジアの青年たちが「広島平和構築人材センター」に集い、平和の大切さを実感しながら国際平和協力活動について学ぶ研修を始めています。

 平和で安定した国際社会は、我が国の安全と繁栄にとってもかけがえのない財産であり、これを守り育てるためにも、我が国は「平和協力国家」として、国際社会において責任ある役割を果たしていかなくてはなりません。先の北海道洞爺湖サミットのG8首脳宣言では、初めて、現在進行中の核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めました。

 そして、本日、ここ広島の地で、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。

 また、被爆により苦しんでおられる方々には、保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を実施してまいります。本年三月には、原爆症認定の新たな方針を策定し、できる限り多くの方を認定するよう努めています。さらに、六月には、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするための改正被爆者援護法が成立しました。今後とも、苦しんでおられる方を一人でも多く援護できるよう取り組んでまいります。

  結びに当たりまして、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつといたします。


平成二十年八月六日
内閣総理大臣 福田康夫

    

広島原爆の日 平和記念式典
8月6日 18時58分

広島は、6日、原爆が投下されてから63年になる「原爆の日」を迎えました。平和記念式典が行われた広島市の平和公園では、今も多くの人が訪れて平和への誓いを新たにしています。

午前8時から行われた平和記念式典には、およそ4万5000人が参列し、この1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人の名前が書き加えられた25万8310人の原爆死没者名簿が慰霊碑に納められました。そして、原爆が投下された午前8時15分に参列者全員で黙とうし、原爆で亡くなった人を追悼しました。式典の平和宣言で、広島市の秋葉忠利市長は「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある。核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶だ」と述べて、政府に対し、核兵器の廃絶に向けて主導的な役割を果たすよう求めました。このあと、福田総理大臣が「今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて国際社会の先頭に立っていくことを誓います」と述べたうえで、被爆者には、医療や福祉など総合的な援護策を実施していく考えを示しました。式典には、これまでで最も多い55の国から駐日大使などが参列し、核保有国からは、ロシアのほか初めて中国が参列しました。また、平和公園の周辺では犠牲者を追悼するさまざまな集いが行われ、夕方になっても多くの人が原爆慰霊碑に手を合わせています。原爆投下から63年のことし、被爆者の平均年齢は75歳を超え、高齢の被爆者の支援のあり方や「核兵器」の恐ろしさをどう伝えていくかが大きな課題となっています。




投稿者 hal : 2008年8月 6日 21:15

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