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2010年4月 5日

遅きに失した社説 ~何より情報の「真実」を伝えなければならない


いまごろよくもまぁ、シャ~シャ~と言えるものだと。

去年の今頃だったら、絶賛したはずです。が、検察に好きなようにやらせておいて、「当局の情報操作に乗ってしまう危険をはらみます。」などとまるでひとごとのように言ってのけるあたり、たいしたものです。

それでも、ここまで踏み込んだだけまだマシということもできそうです。産経・読売・日経の三羽ガラスはいうまでもなく、NHK筆頭にテレビ各局が小沢・民主党バッシングに血筋を上げている酷さを見るとまっとうな方だと思えますが、いずれにしてもニッポンのマスコミの現状は悲しいまでにゴミ化してます。


宇宙人@ハトヤマがその場のフィーリングで発言していることで撹乱されている現実があり、それが大きな原因になっているのは間違いないですが、そうかとゆってその揚げ足取るべくわかったようなことをゆう前原、現場ら反小沢グループがハシャグのも困ったものです。

で、きのう日曜の中日新聞社説です。
東京新聞も同一です。中日グループ340万として強く主張しておきたいという現れだと理解しています。
ただ、人ごとみたいに書いているところもあり、そっくり丸ごと支持できる内容でもありません。それでも私の知る限り、中日としては踏み込んだ内容になっていて、「少しは反省する気になったか!?」という印象です。

一年前、中日新聞に電凸したことを思い起こしました。小沢秘書いきなり逮捕事件に関してです。
 ■ 「世論」というものの正体 ~よろん、ヨロン、世論と新聞社がいうが・・・ --> こちら

あの時点でこのような反省があったなら、中日グループがいかに検察から嫌われようが特オチの制裁を受けようが、少なくとも読者から批判を受けることはなかったはずです。
「おおっ、中日はやるねっ!」と逆に読者を増やしていたかもしれません。

でもあからまな警察の仕打ちは堪えたかもしれません。
いつぞや東京新聞が「高知白バイ事件」を特報に載せたことがありました。速攻で記者が痴漢容疑で逮捕されたことがありました。「こちら特報」に出て、2日後でした。
  ■ 捜査不信 冤罪の叫び 白バイ・スクールバス衝突事故(東京新聞) --> こちら

偶然とは思えない出来事であり、それを「警告」と受け取ったのか、本家・中日新聞の「特報」に載ることはいまだ実現していません。その後も大した内容でない特報が続いたのになんで「高知白バイ事件」が出てこないんだと、不信感はずっとそのままです。

逮捕事件がなければまず間違いなく載っていたと思われる「高知白バイ事件」です。足利事件をなんども「特報」で伝えた中日新聞だからです。

じっくり読むのに値すると思い、取り上げました。中日新聞、東京新聞の公式サイトにそれぞれ全文が掲載されています。こちら
中日新聞2010年4月5日
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週のはじめに考える 権力監視と未来の提言

2010年4月4日

 歴史と時代の転換期。厳しいメディア批判ですが、それでも権力の監視と未来への提言がわたしたちの任務-が六日からの新聞週間を迎えての感慨です。

 メディアにとってことし最大の事件は、民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる検察捜査とこれを報道した新聞やテレビへの世論の激しい反発と批判でした。

 これまでの検察への批判といえば、「眠れる検察」や「悪い奴(やつ)ほどよく眠らせる」拱手傍観(きょうしゅぼうかん)への冷笑や落胆で、政権与党最大の実力者の疑惑追及に拍手でなく反発が起こったのは前代未聞でした。

◆検察もメディアも同罪
 国民が自らの手で誕生させた新政権への思い入れは深く、検察捜査に官の組織的抵抗や民主党潰(つぶ)しの疑惑を抱いたからでしょう。マスコミも一蓮托生(いちれんたくしょう)とみなされたようでした。

 憲法は新聞などの報道機関を特別な存在と認めてきました。権力者が恣意(しい)的な権力行使をしないように監視・抑制したり国民の知る権利に奉仕することを報道の重要な役割と認定し、国家公務員の守秘義務と戦い、秘密を明かすよう説得することを違法とはしませんでした。公務員への根気強く執拗(しつよう)な取材も、新聞記者が取材源秘匿のために法廷で証言拒否することも正当とするなどの判例も積み重ねられました。

 小沢幹事長の事件でのメディア批判は、憲法が報道機関に期待する権力監視の重大な役割を検察に対しても果たしているかの問いかけであり、不信でもありました。

 民主主義国家での検察は、国民から負託された権力の行使には、適法で公正かつ公平でなければならないのは当然ですが、ことに特捜部捜査では公正さや公平さを疑われてすらならないとされます。

◆情報操作の危険の自覚
 国民から期待されてきたのは「巨悪の剔抉(てっけつ)」で、そのためには絶対的正義でなければならず、政治権力と切り結ぶには世論の支持が不可欠でもあるからです。

 この点で今回の小沢事件は、強制捜査のタイミングや政治資金規正法違反での現職国会議員の身柄拘束などで釈然としないものを残したことを否定できません。

 確かに政治資金規正法は罰則が禁固五年以下で、形式的とも軽微な法律ともいえません。しかし、核心の陸山会の四億円の土地購入資金が小沢幹事長の記者会見での説明通りの家族名義の私的資金だったとしたら、現職衆院議員を逮捕して罰するほどの悪質性があるかどうかは疑問です。

 購入資金のなかにゼネコンからの裏献金や水谷建設役員が供述したとされる一億円のヤミ献金が混じっていてこそ特捜部捜査の公正、公平の大義が保てるというものです。メディアに公判を検証する義務が残りました。

 検察からの情報入手が至難なのは今も昔も変わらないようです。早朝から深夜、未明までの熱心で執拗な取材も報われることは少ないようです。それゆえに検察と一体とならないと情報が取れなかったり、当局の情報操作に乗ってしまう危険をはらみます。

 もともと警察や検察の事件報道は当局の捜査情報に多くを依存しますから当局が描く事件の構図や筋書きに影響される宿命を免れません。「新聞は当局の情報操作に手を貸している」との批判を必ずしも一蹴(いっしゅう)できない理由です。

 権力との関係で新聞の敗北の歴史は少なくありません。情報操作の危険性を自覚しつつ、取材力を磨き、見識を高めていくしかありません。それが汲(く)むべき教訓でしょう。わたしたちは何より読者に情報の「真実」を伝えなければならないからです。

 未来への提言も難しいテーマです。日本の誇りだった各経済指標も落ち込んで、一九八〇年代には世界のトップだった一人当たりの国民所得は現在十九位、四十二年保った世界第二の経済大国もことし中には中国に譲り渡します。

 一億総中流社会も一時、低賃金と不安定雇用の格差社会に変わり難問解決の妙手の成長戦略を描ききれないでいます。

◆経済で国は滅びない
 しかし、経済の衰退で国は滅びません。困難に直面して国民が挑戦する気概を失ったとき国は滅びるのだといわれます。少子高齢化やグローバル経済、脱化石燃料の未知なる世界へ果敢に挑戦して「日本型モデル」を築き上げなければなりません。国を滅ぼしてはならないからです。

 子ども手当や高校授業の無料化も未来に向けた試行錯誤と受け取れます。支え合い社会のための医療や年金や介護の充実も、そのための応分の負担も必要でしょう。昨年の総選挙は国民を統治の主体者に変えました。国づくりは等身大の提案から始まります。

投稿者 hal : 2010年4月 5日 06:03

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