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2011年7月29日

あれから26年、いつまでも隠せない ~日航ジャンボ123便、墜落の真相

【 コメント欄に追記:尾翼にぶつかる直前の切迫していたであろうコックピット内の音声(管制塔との交信も含む 】コメント欄に追記
【 追記:マイケル・アントヌッチ中尉・航法士証言 】

   不沈空母と豪語した、中曽根政権だった

加藤絋一、当時の防衛庁長官とともに、
真相をすべてを承知しているはずの自衛隊最高指揮官だった中曽根康弘大勲位は、まだご存命のようである。
当時、中曽根氏は「真相は、墓の中まで持って行く」と発言しているが、
真相を闇に葬る行為は、無念のまま亡くなっていった520人の御霊が許してくれないと思う。

 中曽根氏が洗いざらい証言すれば自民党が木っ端微塵にはなるけれど、それも仕方ないこと。
人命を蔑ろにした罪を償うべく、人の生きる道の最後の締めくくりとしてほしいものである。


 もちろん真相にタッチしていた人なら誰が証言しても構わないが、
すでに国家機密とされてしまっていたなら、まずそれを解除する必要がある。
もちろん、張本人の自民党では1000%不可能なので民主党などがやるほかないが、
頼みの菅政権が自民党化してしまったので一縷の望みも潰えたかのようだが、
まだまだ可能性は残っている。
中曽根、加藤絋一両氏、山下徳夫・元運輸大臣は説明責任を免れていない。

 ところで、
巣鷹山墜落事故に係る航空機事故調査報告書の「解説書」が26年目にして作られ、公開された。
遺族にとって、少しは納得がいくことがあっただろうか。 
   ◇ 日本航空123便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説 --> こちら

 その解説書について遺族会はこう感想を書いている。

・・・
運輸安全委員会が、被害者の視点を受け止め、事故調査に対する遺族の思いに寄り添う過程の始まりとなったと考えています。ただし、これはあの未曾有の大事故に終止符を打つものではなく、さらに残された課題である修理ミスの起きた背景などの究明については、これからも要望をしてまいります。
・・・
「解説書」の内容については、様々な評価があることと思います。もちろん、この「解説書」がすべての疑問に答えたわけではなく、他の考えを持たれる人には納得できるものにはなっていないとも思います。


 意味のない図が小奇麗になり、体裁も整理されて、読み物としては進化した。
が、事故の再調査が行われたわけでもなく、政府が主張してきた内容は微塵も変わってない。

墜落の真相究明は、なにも進展していないのである。

 ちなみに半年前、運輸安全委員会へ遺族会から質問が出されていた。
それを読むと事故以来、遺族が抱き続けてきた疑念がなんら払拭されてこなかったことがわかる。

運輸安全委員会への質問内容

2010年12月6日

8・12連絡会


御巣鷹山の事故の疑問

1、急減圧について

否定する部分については「その理由を明らかにできなかった」とある。
① 急減圧このことに対して、生存していた4人の方たちからの立証は全く得られていない
② 逆にスチュワーデスの落合由美さんからは、「ドーンとした後、白い煙が出たがすぐに消えた」とあり、隔壁破壊による急減圧状態であれば客室内にものすごい突風が流れ、気温が急激に氷点下何十度と寒くなるが、落合さんは、その様な現象はないと証言している
③ 日航一二三便の操縦室では、当然異常事態であれば酸素マスクをして操縦します。そうでなければ体に急減圧による異変が起きて安全な操縦が出来ないから。しかし、酸素マスクを付けていない。事故報告書は「運航乗務員は最後まで酸素マスクを着用しなかったものと推定されるが、その理由を明らかにできなかった」としている。
④ 運航乗務員は異常事態発生後緊急降下に入ることなく、20,000 フィート以上の高度で激しいフゴイド運動、ダッチロール運動を行いながら18分間飛行した、この間運航乗務員が緊急降下の意向を示しているのに緊急降下をしなかったが、その理由を明らかにできなかった。と報告書にある。
⑤ 警報音について
18時24分37秒にCVRに記録されているといわれる「警報音」は DFDRの記録だけでは離陸警報か客室減圧警報かは判定がつかない。事故調の推定通りに、この1秒の警報音が客室の減圧のものであったとするとなぜ1秒間だけで停止したのか。その後約27秒間停止再び 25 分04秒から鳴りだしたのはなぜ?事故報告書では、「その理由を明らかにすることはできなかった」としている。
客室減圧警報ではなく、車輪の異常による、離陸警報音ではなかったのか?

⑥ ボーイング社から五名、アメリカの国家安全運輸委員会から二名、連邦航空局から二名と連邦航空局の日本駐在官一名の計十名の調査団が来日し、八月十四日に御巣鷹山に入った。その後、ボーイング社は、墜落から二十六日後の九月六日にニューヨークタイムズ紙上で、「ボーイング七四七型機の設計自体には問題はない。事故機は、修理ミスが原因で墜落した」と発表しました。日本の事故調査委員会は、このアメリカの主張に大きく引きずられる形で、事故原因を「修理ミスによる隔壁破壊説」の決着になったといえないか。

2、海底捜索について

海底捜査のプロセスはわかったが、なぜ20日だけだったのか。専門家は少なくとも1年がかりででも見つけないと見つからないといっている。当時の予算の都合か、見つからなくても、捜査に問題ないという考えか。
最初の事故が起った地点は、相模湾上空。一番大事な相模湾の海底調査をおざなりにしては本当の事故の原因はわからないのではないでしょうか
その時刻には、相模湾上では、ミサイル自衛艦「まつゆき」が演習していたということも詳しく知りたい
海底捜索をした際のベタスキャンの生画像が運輸安全委員会保存されていますか? 保存されているなら一度みせていただきたい。
17箇所特定の妥当性ないしは、今後の再捜査のかぎがあるかもしれません。

3、救難救助の遅れについて

報告書では、捜索・救難活動について、墜落地点は山岳地域であり、夜間の捜索ということで機体の発見と墜落地点の確認に時間を要したのはやむを得ないと考えられるとしている。

米軍ヘリのパイロットが後で証言していることですが、「十二日の二十時五十分には、米軍のヘリが墜落現場上空にいた。煙があがるところより少し離れたところにロープで降下しようとしたが、日本の自衛隊が行くからと横田基地より中止命令が出された」と。しかし、日本の自衛隊の幹部はテレビの取材に対して、十二日夜に墜落現場に降下するのは自殺行為だと云った。また、当日の最初の現場降下は、十三日午前七時四十五分とある。日の出の数時間後です。
何故もっと早く救助できなかったのかと思う。

遺体を検死した医師たちも、もっと救助が迅速ならばもっと助かっていただろうと語っている。また、地元の消防隊や猟友会、地元住民は、墜落現場はスゲノ沢だと言っているのに機動隊や自衛隊、警察等は、「現場は御座山だ、小倉山だ」と言って、案内を頼んだ地元の人の言うことを聞かずに、関係のない方向に案内させられたとも聞いた。また、四人以外にも生存者がいたのなら夜中でも十分救出に行けたという地元の人の談話もある。墜落地点の確認に時間を要した理由を伺いたい。

4、死因の詳細な記述と生存の可能性についての記述がない

墜落の次の日の十三日に四人の生存者が助けられたが、特に生存者の内の川上慶子さんは、「朝迄お父さんと妹の咲子さんは生きていて言葉を交わしていた」と証言している。しかし、その証言は事故報告書にはない。
座席前部、中部は全員即死またはほぼ即死に近い状態とある。また、後部座席は致命的な傷害を受けたものと考えられると報告書にあるが、その生存の可能性についての記述がない。どうしてですか。

5、事故報告書に対し、前橋検察庁の検事正は、日米間の政治的決着を示唆する発言をしているが、そのことについてどう考えているか教えてください。

6、各方面から疑問とされている事故調が行った急減圧の実験を公開で行って欲しいと思います。

25年たっても、事務局には、原因についての情報提供などが今だにくる。遺族も報告書の結論に納得いかず、個々にあげたような疑問点が残る。更に、疑問が深まり、広がる可能性もあり、この状態は今後も続くと考える。
そこで、 説明責任を果たすという決意表明もされているこことをうけ、海底捜索の状況だけでなく、こうした多くの疑問について、
① 当時の状況がわかるなら当時の状況を
② 今後何か出来ることがあるならその可能性について
③ 国が行う再調査の可能性について
ぜひ見解を聞かせてください。

事故原因への疑問・質問にお答えいただくことは 遺族支援の中でも最も大きな支援と考えています。
なにとぞよろしくお願いいたします。

以上


なお、遺族会も不審に思っている救助が遅れたことも、
下表の自衛隊の行動とその時刻を並べてみると、その不審さが一層際立ってくる。
18時56分26秒墜落の衝撃音、その20分後、19:15米軍がいち早く現場を確認している。
が、日本側の要請で追い返された。



 ◇ 自衛隊はなぜ米軍の救助を断ったか(EJ第1062号) --> こちら
 ◇ 日航ジャンボ機墜落と横田基地 --> こちらの後半の記事  
 ◇ アントヌッチ証言全文 --> こちら

長野県警が翌朝05:37に確認
生存率が極端に低下するので一秒一刻を争うときだったのに、
救助隊が10時間以上も現場から遠ざけられてしまった。

   自衛隊はいったいそこで何をやっていたのか!?


 ◇『日本航空123便ジャンボジェット墜落事故の真実を求めて(御巣鷹山、日航機墜落の真相)~自民党時代にはできなかった政府による真実の追究ができるようになるか』サイトから一部引用させて頂く。
  --> こちら

 この中の表で自衛隊がいかに墜落位置の誤報を繰り返したかがよくわかり、意図的にやったとしか思えない。
(特に長野県警が確認した後も誤報を繰り返し発表している)

(朝になって長野県警のヘリが正確に位置を確認しており、自衛隊の7回中、6回が誤報:生存者を発見したのも長野県レスキュー隊で自衛隊はそれまで何かを運び出すのに精一杯)


所属機種離陸時刻到着時刻火災の報告残骸救助位置 帰還時刻帰還理由
米軍C-130沖縄から飛行中19:15大規模火災確認降下横田から305度、35マイル 21:20自衛隊に交替
空自F4戦闘機19:01 百里基地19:21災を確認--横田タカンから300度、32マイル誤報  
空自V-107ヘリ19:54 百里基地20:42山腹炎上--横田タカンから299度、35.5マイル 30分後近づくと危険
空自V-107ヘリ00:36 入間基地01時頃 --入間から291度、36.3マイル誤報 近づくと危険
空自V-107ヘリ00:36 入間基地01:35 --ぶどう峠から210度、3マイル誤報  
空自V-107ヘリ立川基地04:39-発見-三国山の西3km、扇平山の北1km誤報  
陸自OH6ヘリ立川基地05:10-確認-御座山の東5km誤報  
長野県警 ヘリ 05:37-確認-御巣鷹山   
陸自  05:45-発表-御座山の東7km、南4km誤報  
陸自V107(6機)07:54 習志野08:49--開始(10:19 約70名全員のリペリング完了)   

 またミサイル標的機の可能性として、

 *多くの部品が落下した相模湾の捜索を早期に始めず、すぐに打ち切った。

 *CVRの「オレンジや」と聞こえる音声(24分)

 *DFDR(飛行記録)に横方向の加速
度が加わったことを示す記録
(飛行物体が尾翼に横からぶつかったことを示す)

 *生存者救助より、墜落現場から何かをつりあげることを優先

 (ミサイル標的機の色であるオレンジ色の物体を引き上げていることが救助の様子を写したVTRを解析して判明:ジャンボではその色の部品などはない)

 をあげている。

『日航123便はなぜ墜落したのか 2010年8月9日』 --> こちら から引用


当時、遺体の歯形で本人確認を行った大國勉氏(歯科医師、群馬県警察医会副会長)に、青山さんは何度もインタビューを試みている。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。
なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。...二度焼きしたような状況だ」。
周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、遺体だけが骨の芯まで焼かれているのはなぜか。群馬県の検視報告書において担当医が「二度焼き」という言葉を使ったことは、ただごとではない。

【おまけ】
 とても読む気がしなかった当時の事故報告書です。
内容はともかく、これが公式なものです。念のためリンクを掲げておきます。
事故調査報告書(昭和62年6月19日公表)
※それぞれのPDFファイルが5メガバイト、18メガバイトのように大きいため、開くまでにかなり時間がかかることをご承知おきください。

日本航空123便 御巣鷹山墜落事故調査報告書

62-2 JA8119

日本航空株式会社所属
ボーイング式747SR-100型JA8119
群馬県多野郡上野村山中
昭和60年8月12日

62-2-JA8119
日本航空(株)所属 ボーイング 747SR-100型 JA8119 群馬県多野郡上野村

(5.3MB) 1頁~46頁
1 航空事故調査の経過 ~
2 認定した事実 
2.15 事実を認定するための試験及び研究(一部)

(4.3MB) 47頁~82頁
2 認定した事実
2.15 事実を認定するための試験及び研究(残り)~
3 事実を認定した理由
3.1.7 DFDR記録に基づく事故機の飛行状況及び飛行経路について

(5.3MB) 83頁~118頁
3 事実を認定した理由
3.1.8 事故機の飛行シミュレーション試験~
3.2.7 異常事態における運航乗務員の対応

(5MB) 119頁~152頁
3.2.8 事故機の飛行に対する地上からの支援についての解析~
4 結論、5 参考事項、付図1~16

(5.5MB) 153頁~185頁
付図17~38、写真1~18

(5.5MB) 186頁~211頁
写真19~79

(5.4MB) 212頁~232頁
写真71~106

(5.4MB) 233頁~249頁
写真107~124、別添1(一部)

(5.1MB) 250頁~278頁
別添1(残り)~別添5(一部)

(3.7MB) 279頁~315頁
別添5(残り)~別添6(一部)

(5.1MB) 316頁~392頁
 別添6(残り)

62-2-JA8119(航空事故調査報告書付録)
日本航空(株)所属 ボーイング 747SR-100型 JA8119 群馬県多野郡上野村
(JA8119に関する試験研究資料)

(18.1MB) 1頁~213頁
 付録1  後部圧力隔壁破壊の解析のための試験研究   3頁~ 21頁
 付録2  垂直尾翼破壊の解析のための試験研究     23頁~ 46頁
 付録3  APU防火壁付近の強度解析            47頁~ 52頁
 付録4  後部圧力隔壁からの与圧空気の流出の数値計算による検討 53頁~ 85頁 
 付録5  DFDR記録のエラー修復作業           87頁~ 93頁
 付録6  DFDRに基づく事故機の飛行状況及び飛行経路について   95頁~130頁
 付録7  事故機の飛行シミュレーション試験        131頁~156頁
 付録8  プリレコーデッド・アナウンス及び警報音(客室高度・離陸)  157頁~163頁
 付録9  CVR記録の音響分析                165頁~173頁
 付録10 低酸素症に係る行動変容の調査・試験    175頁~189頁
 付録11 垂直尾翼の画像解析               191頁~206頁
 付録12 目視点検による亀裂の発見について     207頁~213頁

 ■ 日航ジャンボ123便、墜落 27年周年 ~あのとき何が行われていたのか --> こちら
 ■ 「こんな不正があるわけがない」 沈まぬ太陽 ~JAL社内報で批判 --> こちら
 ■ 大惨事の原因を安全管理に結び付けたがっている ~日航ジャンボ機墜落 --> こちら
 ■ 日航ジャンボ123便、墜落 ~あれから25年 --> こちら
 ■ 御巣鷹 日航機墜落21年 JAL123便 事故だったのか!? --> こちら
【 ホームページ 】
 ■ 航空事故調査報告書に基づく操縦室用音声記録装置(ボイスレコーダー:CVR)の記録 --> こちら
 ■ JAL123便 日航機墜落事故の真相 --> こちら


【 &#☭〄!△;~$※♂☞?・・・ 】

hamuko_5364_s.jpghamuko_5364.jpg


9月10日

  
いとうはむこいとうはむこ ‏@hamuko_5364


あれから26年、いつまでも隠せない ~日航ジャンボ123便、墜落の真相http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2011/07/post_2153.html#30588 本当こういうのさ、よくやるよね。関係ねえ反原発とかも紛れ込んでるしよ。楽しいかね、500人の死人をダシに陰謀論展開するのは。楽しいんだろうねえ
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Tsutomu




【こちらは秀逸なコメントです。本文の中に掲載します】
機長らクルーはなにが起きるかが予測できていたので、
即座に「スコーク77をセット」できた・・・
という鋭い考察です。

またあの日が近づいてきました。
事故直前まで米軍の横田空域を避ける通常のルートでしたが、
事故後羽田へ帰還するルートは横田空域内を通過して
います。スコーク77で自衛隊機がスクランブルしたと
思われますが、それを含めて自衛隊機と横田基地との
交信が殆ど開示されていません。軍事機密ということ
なのでしょうが、外部から見た機体の状況など機長には
つぶさに報告されていたはずです。横田空域ですので
米軍機にも何らかの動きがあったでしょう。

情況証拠を考察すると、

1.機体に何らかの損傷はあったが、客室与圧調整系でまかなえる程度の損傷だった
2.機体の損傷で一瞬減圧したがすぐに与圧が回復。そのため高度を下げる必要がなかった
3.1、2により圧力隔壁の大規模な破壊はない
4.3により隔壁破壊による尾翼の損傷も根拠のないものに

常識的に考えられる事故のシナリオは、垂直尾翼の破壊(原因不明)→客室減圧(すぐに回復)→操舵制御系が不能

発表された飛行ルートを見ますと、富士山あたりまでは
あきらかに羽田に向かっています。ところがそこから
横田基地へ進路変更します。大月山で旋回しながら急降下
して着陸の準備とも取れる飛行をしています。これを見ますと
飛行機はかなりのレベルでコントロールが可能であったことが
わかります(もちろん機長と副操縦士が最大限の努力をしていました)。
ところが横田基地直前で御巣鷹山方面に進路変更します。
まるで山へ不時着しろとでも言われたように・・・。

生存者の一人・落合由美さんの証言に「パーン」という「音」がした
とあります。ところが機長はその異音をすぐに「爆発したぞ」と
わかりスコーク77をセットしました。これも不自然ですね。
いかに危機管理に優れた人でも、予期せぬ事象を即断することは
不可能です。最低限計器類のチェック&乗務員への確認を行う
はずです。

常識的に考えられることは、

1.機長&クルーは何が起こるかを予期していた
2.それは爆発を伴うものと認識していた(実際に爆発したか不明)
3.異音発生とほぼ同時にスコーク77をセットした

私の妄想ですが、やはり123便の事故は自衛隊存続か民間人救出かを天秤にかけて
自衛隊存続が選ばれてしまった結果ではないかと思います。尻もち事故による
隔壁修理という事故調にとって救いとなる記録が発見され、自損事故へ急展開
していきます。軍事機密(隊員は公務員ですから公務員法の適用なんですけどねw)
ですから、日本がある限り真相は表にでないでしょう。残念ですが。

犠牲になった人たちのご冥福をお祈りいたします。

投稿者 彼岸花 : 2012年7月13日 17:38


カテゴリ_JAL123日航機墜落
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投稿者 hal : 2011年7月29日 23:18

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