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2013年10月30日

秘密保護法、成立後の日本 ~戦前回帰に備へあれば憂ひなし

あのとき、日中戦争が勃発した。
  (昭和12年)1937年7月7日盧溝橋事件からエスカレート --> 1945.8まで続いた


 そして、東京五輪は幻となった(1940年大会)
 日本政府が1938年(昭和13年)7月に中止を決定した。

・・・あれから76年、
いまの日本が、そしてこれからやってくるだろう日本が、
戦前のあの頃の状況によく似ているという。

ちょうど昭和3年前夜といったところだろうか・・・ 
(早回しで進んでいるが)


「昭和からの贈りもの」を参考にさせていただいています。


昭和3年 1928年
   2月20日
 改正衆議院議員選挙法(1925年)の下、初めての選挙(第16回衆議院議員総選挙)
   3月15日
 日本共産党員を一斉に検挙した。「3.15事件」と呼ばれる。
 治安維持法に反するというのが理由。
 これから逮捕者が増え続ける。
   6月29日
 治安維持法を強行改正!!
 「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役若ハ禁錮」
 要するに、国に逆らう者は死刑!という厳罰化。
  
昭和7年 1932年
   6月29日
 警視庁は特別高等警察部【特高】を新設。
 共産主義の封じ込めが表向きだった
 その前にすでに特別高等警察課が設けられていたが、この日に、部に昇格した。
 昭和3年の「三・一五事件」をきっかけに新設されていた。
 これによって特高による監視が強くなり、戦時中は徹底した監視網が敷かれた。
   10月6日
 東京・大森、銀行に強盗、3万円が強奪。
 翌日、犯人は共産党員3人であると報道、党に対しての批判が集まる。
 が、この事件は特高が仕込んだものだった。さらに共産党幹部が検挙される熱海事件、
 党員1500名の検挙へとエスカレート。

昭和8年 1933年
   2月20日
 小林多喜二が特高に逮捕され、築地署で拷問、死亡
   【※追記】拷問を受けて傷だらけで帰ってきた大橋巨泉の父

昭和10年 1935年
   3月4日
 共産党中央委員の袴田里見が特高に検挙される。
 共産党は壊滅、赤旗も終刊。

昭和11年 1936年
   2月26日
 二・二六事件
   3月24日
 内務省はメーデーを中止させた。
 二・二六事件後、治安維持を理由に特高を増員。
 政治活動に対しての取締りを強化。
   5月4日
 内務省、治安維持を理由に、大衆的陳情運動を禁止。

昭和12年 1937年
   4月13日
 内務省、治安維持を理由にメーデー禁止を決定。
   7月1日
 文部省が、国民強化運動の一環として、ラジオ体操への国民総動員を決定。
   7月7日
 盧溝橋事件勃発 --> 日中戦争へエスカレート
   7月13日
 内務省【軍事機密保護法】を改正・公布
 都道府県長官に通牒、報道規制を強化。
   7月31日
 陸軍省が【記事掲載禁止命令権】を発動、軍隊の行動・軍機・軍略に関しての新聞掲載を禁止。また戦闘地域などの表記も○○方面といった伏字に。
   8月24日
 閣議で【国民精神総動員実施要綱】を決定。
 国民全てが日中戦争の重要さを認知し戦争に協力すること
 国家忠誠を誓うこと。
   9月13日
 政府【国民精神総動員実施要綱】を発表。
   10月11日
 商工省が初めて物資統制【臨時輸出入許可規則】を公布施行。
 綿花、化粧品、オレンジなどの果物。紅茶などのぜいたく品の輸入禁止、軍需資材の輸出禁止。
   10月13日
 NHKが【国民唱歌】放送を開始。第1回【海ゆかば】

昭和13年 1938年
   2月1日
 前年12月に引き続き、
 帝大教授の大内兵衛、同助教授有沢広巳ら官私大教授グループと労農派グループ38人が、
 治安維持法による左翼運動弾圧によって一斉検挙。「第二次人民戦線事件」
  行政による自由主義思想の弾圧は益々強化。
 司法省が、
 『いまや民主主義自由主義の思想は共産主義発生の温床となる危険性が多分にある
 と発表。
   3月16日
衆議院で【国家総動員法案】が可決。
   3月24日
 貴族院で可決。4月1日公布、5月5日施行。
   7月25日
 ガソリン節約強化が決定。自家用車は1日1ガロン(3.7L)と制限。
   10月30日
 愛国婦人会が銃後講演会強化徹底標語を発表。
          『兵隊さんは命がけ、私たちはたすきがけ』

昭和15年 1940年
   6月
  内務省が【隣組強化法】を制度化。思想統制や住民同士の相互監視を担う。

昭和16年 1941年
  12月8日
「大東亜戦争(太平洋戦争)」の火蓋が切られた。

不穏な動きがずっと続き、しかもエスカレートしている・・・・ (こちらから一部再掲)
→小泉→前原→石原→野田→安倍
クリックで原寸大
WarHistory3_s.gif


戦後六十年余、どうにか戦争を仕掛けずに来れた。
アメリカの要求と圧力を、憲法9条を盾に、のらりくらりと躱しながらやってきた。
戦争ができる法体制を作らされながらも、なんとかやってきた。
ところが、2013参院選後、想定通り、安倍政権が暴走し出した。
もはや手がつけられない領域に突入している。
最大の危機・恐怖は集団的自衛権が行使できるように解釈を変えようと動き出したことだ。
それとセットになる「何もかも秘密にする秘密保護法」
戦前の軍機保護法、治安維持法の焼き直しである。
実はこのストーリー、8年も前に決定されていた。
テレビ新聞も取り上げなかったので殆どの国民が知らずにいる。怖ろしいことだ。

「日米同盟」にバトンタッチ、軍事同盟に変質したことを知らない!
2005年10月29日、日米安全保障条約が実質無力化させられた。
破棄にも勝る行政文書が交わされ、条約は死んだも同然となった。

「2+2」日米安全保障協議委員会2005.10.29
2plus2_051029.jpg
日米安全保障協議委員会「2+2」平成17年10月29日(土)ワシントン現地時間
(左から)町村信孝(まちむらのぶたか)外相、ライス米国務長官、ラムズフェルド米国防長官、大野功統(おおの よしのり)防衛庁長官

何が変質?
① 世界の隅々までが行動範囲に! これで地域限定が消滅。
  日米安保では「極東地域」に限定されているが・・。
② 武力行使が最前面に! これが日米共通戦略となった。必然的・強制的にニッポンが引き摺り込まれることになる。 
  日米安保では「主権の尊重」であり「武力行使の抑制」であるが、尽く無視されることになる・・・。

3年後に選挙があります。
が、その選挙がまっとうに実施される保障はなくなっているかもしれません。
その前にネット規制などさまざまな情報統制がかかり、
「オカシイ」と多くの国民が気づき始めた頃には
もはやどうすることもできない状況になっていることもあり得ます。
このブログの整理を含め、
いろいろ考えなくてはならない時が来るだろうと予想しています。



まもなくやってくる恐怖政治でも強かに生きられるべく、知っておこう!

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投稿者 hal : 2013年10月30日 19:01

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